「江戸前」とはもともと鰻のことだった? – 江戸前の本当の意味

「江戸前」という言葉は、現代では「江戸前寿司」を指すことが多いですが、実はこの言葉が最初に使われたのは「鰻」でした。江戸時代、東京湾(当時の「江戸海」)で獲れた新鮮な鰻を使った「江戸前蒲焼」が人気を博し、それが「江戸前」という言葉の始まりだったのです。本記事では、江戸前の本来の意味と、江戸の食文化における鰻の位置づけについて解説します。

本ブログは歴史上のことで諸説ございます。話のネタにお読みくださいませ。

「江戸前」の語源 – もともとは寿司ではなく鰻

「江戸前」という言葉が指す範囲について、江戸時代の記録には次のように記されています。

『江戸前ト唱ヘ候塲所ハ西ノ方武州品川洲崎一番ノ棒杭ト申塲所〜東ノ方武州深川洲崎松棒杭ト申塲所』

つまり、現在の東京湾のうち、品川洲崎から深川洲崎までの内側の海域を「江戸前」と呼んでいたのです。これが後に「江戸前で獲れた新鮮な魚介」を指す言葉として使われるようになり、その代表格が鰻でした。

また、現在の「東京湾」という呼び名が定着したのは明治時代以降であり、それ以前は「江戸前の海」「江戸海」と呼ばれていました。

「江戸前蒲焼」と旅鰻 – 江戸で大流行した鰻

江戸時代、「四大食」と呼ばれた人気料理には、

  • 蕎麦
  • 寿司
  • 天ぷら
  • 鰻(蒲焼)

がありました。なかでも「江戸前蒲焼」は江戸庶民の間で爆発的な人気を誇りました。

江戸の鰻は「江戸前」と「それ以外」に大別され、「江戸前の鰻」は最高級品とされました。一方、江戸前ではない鰻は「旅鰻(たびうなぎ)」と呼ばれ、格下に扱われていました。18世紀中頃から江戸では鰻が大人気となり、「江戸前」のブランド価値が高まったのです。

江戸と京坂の違い – 「背開き」と「腹開き」の由来

江戸と京坂(京都・大阪)では、鰻の調理法にも違いがありました。

  • 江戸:背開き(武士の町なので「切腹」を連想させる腹開きを避けた)
  • 京坂:腹開き(こってりと焼き上げるのに適していた)

ただし、実際には、江戸時代の初期は全国的に「背開き」が一般的だったとも言われています。その後、京坂では腹開きの調理法が広まりました。

蒲焼の調理法 – 「蒸し」は明治以降の発明

江戸の蒲焼と京坂の蒲焼では、タレの違いだけでなく、焼き方にも違いがありました。

  • 江戸風の蒲焼(明治以降):焼く前に蒸すことでふんわり仕上げる
  • 江戸時代の蒲焼(東西共通):蒸さずにそのまま焼く

実は、「蒸し」の工程が加わったのは明治時代以降の東京であり、江戸時代の蒲焼は関東・関西ともに「直焼き」でした。

江戸前のタレと京坂のタレ

タレの違いも、地域ごとに特徴がありました。

  • 江戸前蒲焼のタレ:濃口醤油+みりんを混ぜた濃厚な味わい
  • 京坂の蒲焼のタレ:麹(こうじ)に焼酎やみりんを加えて発酵させた「白酒」と、薄口の澄み醤油をブレンドした甘みのあるタレ

このように、江戸前の鰻は味の濃いタレで仕上げ、京坂の鰻は上品な甘さを活かした調理法が用いられていました。

まとめ – 江戸前は鰻から始まり、寿司へと広がった

現在「江戸前」というと寿司を思い浮かべがちですが、もともとは「江戸前蒲焼」に使われた言葉でした。江戸の食文化の発展とともに「江戸前=江戸湾で獲れた新鮮な食材を使った料理」として広まり、寿司の世界にも取り入れられました。

今でも「江戸前寿司」と「江戸前鰻」は、職人の技と伝統を受け継ぐ食文化として、多くの人々に愛されています。次回、江戸前の寿司や鰻を味わう際には、その背景にある歴史にも思いを馳せてみてはいかがでしょうか?